内川内地区の今昔1

内川内地区は、下甑島の表玄関・長浜から北西方向約5kmの位置にあり、航空自衛隊のレーダー基地がある標高約450mの嶺を越えた西側の山の斜面にある。自衛隊基地まで車で約15分、基地のある山の頂から5分程度で到着する。

内川内今昔1
内川内は、標高約200mから300mの傾斜地にあり、二つの谷沿いに住宅が点在し、それぞれ前迫、後迫と呼ばれている。28世帯36名が生活しており、高齢化率83%の限界集落で、男性12名に対して女性が24名、半数の18名が80歳以上である。従って、産業はなく、ほとんどの人々が自活のために農作業をしながら年金暮らしをしている。

内川内今昔2
この地を訪れて驚くことがいくつかある。その一つが、畑が荒れてなくてよく耕作されていることである。村人達が主に耕作してきたのは、歩いて約30分離れたところにある小屋床線沿いの畑である。さすがに足腰が弱くなっている人が増えており、そんな方々は、朝のバスに乗り、昼過ぎのバスで帰ってくる。

畑のほとんどは芋畑で、畑の周りにお茶の木があったり、ヒサカキ(ハカシバ)を植えたりしている。近年まで集落の中心にある製茶工場も下甑の中では唯一稼働していた。しかし、本土の産地で見られるような広い茶畑があるのではなく、畑の周囲に植えられたお茶を手で摘んでいた。それでもほとんどの畑にあるので、下甑の中ではお茶の産地に位置づけられていた。
住宅の庭がよく手入れされていることも驚きの一つである。前庭は狭く隣家への通路の役割も果たしているが、庭木がよく剪定され、多くの花が植えられている。私が訪れた4月中旬には赤や白のツツジが花開き、白いセッコクの花を何軒もの庭先で見ることができた。

内川内今昔3内川内今昔4住宅の庭のアジサイ内川内今昔6

ここ内川内はとにかく花が多い。西部林道から集落へ下る道路沿いには桜並木が続き、住宅を結ぶ急な階段の道路脇にもカノコユリやアジサイ、ツツジなどがたくさんみられる。特に際立っているのがアジサイで住宅の周囲や幹線道路沿いなど至る所に見られ、6月の花のシーズンには訪れる人も増えており、集落の風物詩になりつつある。

干棚を作った住宅ある方のお話では、アジサイは数十年前に長浜の定置網で働くときに貰ってきたのが始まりで、意識して増やし始めたのは、集落内を一周する道路ができた20年ぐらい前とか。毎年 100~200本を挿し木して苗を育て、徐々に広げていったのが、やがて地域全体で取り組むようになった。

地区内には、宅地の1段下から杭を立て、竹で6帖ぐらいの棚を設えている家がある。戦前戦後、芋が主食だった時代には、ほとんどの人達がこのように棚を造って、輪切りにした芋(コッパ)を乾燥させた。当時は住宅も藁葺きだったので、それを袋(カマゲ)に入れて天井に保存したらしい。今では畑に穴を掘り、雨に濡れないように藁で傘をつくり、空気が通るよう工夫して保存するが(トビイケ)、「コッパモチ」をつくる一部の人達は今でもこの棚を利用する。家の周りには「ダイダイ」や地元の人達が「トウミカン」と呼トウミカンぶ柑橘類も多く、ツバキの古木も結構あって影をつくるので、この棚は日照を得るために編み出した知恵であった。

内川内地区も終戦後は人が溢れていた。昭和23年の記録によると、75世帯353人が生活していた。私は時々金山海岸まで山を下るが、マテバシイやタブノキが茂る山の斜面は海岸近くまで段々になっており、かつては畑だったことが分かる。水田もあったと聞く。当時はカノコユリも収入源の一つで、ほとんどの方々が畑の畦に自然に生えた球根を掘り出していた。何百キロと出荷していたらしい。

内川内海岸海岸も賑わっていた。シイラ漁が盛んで7統の船が冬の季節を除いて操業をしていた。大きな岩や山を目印にして場所を決めていたらしく、ナポレオン岩が見える水深200~300mの地点に孟宗竹を組み合わせて作ったウケを、石の重りと稲藁で編んだ縄で固定したとのこと。海上に影ができると小魚が集まる。それを狙ってシイラ(マンビキ)が集まってきた。10m位の船に6,7名が乗り込んでウケまで艪を漕いでいき、イカの切り身やキビナゴ、アジを餌にして1日に何百匹と釣り上げた。

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釣ったシイラは、背から二つに割って開き、塩をつけて樽に入れ、海岸の納屋で2晩浸けた。それを海岸の川できれいに洗い、傷まないように竹や木を敷いて砂利浜に干した。シイラの干物は生活のための保存食でもあったが、当時は内川内の資金源の一つで、牛深や熊本など県外まで出荷されていた。

先月末、内川内海岸へ下りてみたが人影はなく、海岸の小道は濃緑のアザミの葉で覆い尽くされようとしている。ミサゴが羽を広げて沖の瀬島の上を旋回しており、50m位沖合では鰯の群れか、波しぶきの大きな塊がゆっくりと移動している。
観光船かのこやがて、観光船「かのこ」がやってきて、甲板にいる数人の観光客が私に気づいて手を振った。kan