甑島のリピーター達

甑島のリピーター達1今年も夏が近づいてきた。手打の母の家は毎年盆前になると人で溢れる。東京や関西の親族が時には友人達を引き連れて帰ってくるのである。

昨年、東京からは弟家族が友人の家族や恋人と一緒にやってきた。姪の理加と彼氏のハル君はこの時に突然結婚宣言をして、今年の1月、東京で結婚式を挙げた。
夏はまた行きますからと張り切っている。

いつも孫達と一緒に帰って来た尼崎の叔父も常連の一人だった。にぎりめしを作るのが巧くて、磯でご飯を炊いたときは、よく作ってくれた。みんなで瀬々野浦断崖の観光したときに、心から喜んでいるのがとても印象的だった。その叔父は一昨年の11月に84歳で亡くなり、昨年の夏は子供や孫達が遺骨を持参して帰ってきた。

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アメリカのボルダーに住む妹家族もよく帰ってきた。姪のマドカも甥のタクミも野性味溢れる東京組と年頃が同じなので、高い岩の上や港の堤防からよく飛び込んで親をはらはらさせながら成長してきた。

タクミは一昨年の11月、日本に短期留学していた彼女と一緒に甑島にやってきた。鹿島や瀬々野浦、内川内などを案内すると、大変喜んでくれた。タクミもマドカも「甑島の海はすばらしい」といつも言ってくれる。

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昨年は85歳で亡くなった父の7回忌だったので、実家は一層賑わった。朝食や夕食時は準備段階から混乱する。
毎年のことではあるが、就寝時間になると市場に並ぶ鮪のように、男性も女性も横に一列になって寝る。昨年は流石に長浜の家やホテル、弟のトレーラーハウスに分散したが、それでも収まりきれず、数人は砂浜のテントの中で寝た。自分もその一人であった。

90歳になる母もみんなも窮屈で大変であるが、夏の束の間の1週間程度をそうやって過ごすことが楽しみであり生きがいになっている。彼らは遠路はるばる友人まで誘ってやって来ているので、どこで泳いで楽しむか、毎日そのことに集中し、昼食を持参して出かけた。これは昼間に実家を空けて高齢の母を解放する手段でもある。

甑島のリピーター達4甥や姪達が小さかった頃は目の前の砂浜で満足していたが、大きくなるにつれて泳ぎが達者になり、魚が群れて透明度の高い磯場に好んで出かけた。みんな潜るのが得意なので魚人にでもなったような印象すら受ける。
魚を手銛(もり)で突くのも楽しみの一つになった。だから、いつの間にかプライベートに楽しめる場所を求めるようになった。

昨年は船でしか行けない長浜と鹿島の間にある「小田」にも出かけた。ここは今でも私の本籍地で、小学校低学年の頃までは父達が炭焼きをしており寝泊まりできる小屋もあった。湿原があって川が海岸まで注ぎ、フナが泳いでいた。最近は川の流れは渚まで到達しないで砂利浜の中に消えている。
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長浜から小さな吾妻丸を回し、車で鹿島の林川原まで来た一行を「小田」まで船で運んだ。泳ぎ初めてまもなく、甥の大地は手銛(もり)で甲イカを仕留めた。アオリイカの赤ちゃんが卵の殻を破って誕生した瞬間も発見して、しばらくみんなでそれを観察した。
手打と青瀬の間にある佐野浦でも泳いだ。この地でも毎年のように遊んできた。昨年は長浜から吾妻丸を持ってきて、海岸から船で青瀬寄りの浜まで連れていったが、クラゲが多く快適に泳げる環境ではなかった。それでも魚が多い瀬島の周りで十分楽しんでいた。

甑島のリピーター達6甑島は昨年の夏、確実に二人のリピーターを獲得した。後に理加の夫になったハル君と弟家族の友人の高校生・フウ君である。泳ぎがそんなに達者でなかった二人は、甑島で泳ぐ日々を過ごすうちにめきめき上達し、二人とも手銛(もり)で偶然(?)にもブダイを仕留めてしまった。フウ君が突いたのは大きなアオブダイで、先に東京に帰った両親に見せるために、生のまま自宅に送った。

甑島を発つときは、ハル君もフウ君も「来年も必ず来ますから」と明快に言い残して去っていった。フウ君は今、夏の休みに甑島に渡るため、アルバイトをこつこつとやっている。。。kan